2015-08-14

村山談話」を書いた元官僚・谷野作太郎氏

村山談話」を書いた元官僚・谷野作太郎氏、
その誕生秘話と意義を明かす
週刊ダイヤモンド編集部 【第7回】 2015年8月13日
 http://diamond.jp/articles/-/76616
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安倍晋三総理が「戦後70年談話」を出す時期が、いよいよ明日に迫った。そこで今振り返っておきたいのが、戦後50年に当たる1995年に出された「村山談話」だ。日本の歴史認識を対外的に明らかにしたという点において、重要な意味を持つ。同談話の原案を書いた元外務官僚・谷野作太郎氏が、その誕生秘話と意義を語る。(インタビュー・構成/『週刊ダイヤモンド』論説委員 原 英次郎)

村山総理から「一文書いてくれ」と
大きな修正はなかったと記憶している

――谷野さんは1995年当時、内閣外政審議室長の要職にあり、村山富市総理の出された「村山談話」の原案をお書きになりましたね。


今年6月には、日本記者クラブで村山元総理(手前)と河野元自民党総裁が会見に臨み、安倍総理の戦後70年談話について、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐように求めた Photo:Natsuki Sakai/Aflo
 戦後50年という節目の年を迎えて、日本では、いろいろなところで、この機会に戦前、戦後の日本の歩みを総括し、将来に向けて日本の目指すところを国内外に発表したいという動きがありました。

 たとえば、5月、東京の武道館での大会で出された「アジア共生・東京宣言」。これは、ひと言で言えば、「あの戦争は、欧米からのアジア解放のための戦いだった」、日本については「自立自衛を求めて止むに止まれず欧米列強に戦いを挑んだ壮挙であった」というものです。あの無謀な戦争の結果、あるいは朝鮮半島の植民地支配の結果、日本が中国や朝鮮など近隣のアジア諸国に物心両面で大きな苦痛を与えたということに全く目をつぶったものでした。


たにの・さくたろう
1960年東京大学法学部卒、外務省入省。駐インド、駐中国大使などを経て2001年退官。河野談話、村山談話、慰安婦問題については「アジア女性基金」の立ち上げで、大きな役割を果たす。日中友好会館顧問
 政治の面では、国会で「決議」を出そうということで、政党間でいろいろとせめぎ合いがありましたが、その結果6月に「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が、衆議院で採択されました。しかし、この短い決議とても、衆議院では、少なからぬ議員方が反対、棄権され、全会一致の決議とはならず、参議院では決議を出すこと自体が見送られました。

 そんな中、中曽根康弘元総理が私に「歴史認識」というテーマは、国会決議になじまない。これを与野党の折衝の場にさらすと“これを入れろ”“あっちを削れ”など、仕上がりは妥協の産物となってろくな内容にならない。書くならば、政府がしっかりした筋の通ったものを書くべし」とおっしゃいました。事実、衆議院の決議は妥協の産物で、中途半端なものになったわけで、「さすが」と思いましたね。

――そこで、村山総理から谷野さんに、一文書いてくれ、と。

 そうです。7月に入ってからのことだったと思います。私は、すでに内閣参事官室で内々作業が始まっているのは承知していましたので、若干躊躇したのですが、総理から直々のご指示ゆえ、私なりに考えた一文をしたためました。その間、内々に二、三の学者の方にも相談しましたが、大きな修正はなかったように記憶します。
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 その1つは、「談話」発表直前に内閣改造があり、官房長官が五十嵐広三さんから野坂浩賢さんに替わり、野坂長官が閣議決定の手続きをとろうとおっしゃったこと。これには大変、驚きました。

 村山内閣は社会・自民・さきがけの連立内閣、自民党の閣僚方には橋本龍太郎先生(遺族会代表、通商産業大臣、副総理格として入閣)はじめ、この問題で一家言おありのおっかない方が何人かいらっしゃった。閣議で紛糾して通らなかったら、国際的にも大変まずいことになる、と。そこで大急ぎで内閣参事官室の人たちが、閣僚方に事前の根回しに参上しました。もっとも大物閣僚の方々には、野坂長官が直接、お話しになったようです。

 その過程で橋本龍太郎先生だけは、私からお願いして、村山総理ご自身が電話でお話しになっていました。しかし、「テキストを精査したいから持って来てほしい」と。そこで仕方なくお届けしたところ、しばらくして村山総理に対し「テキストに“敗戦”と“終戦”と両様の書き方があるが、これは“敗戦”にそろえてはどうか」とご連絡がありました。少しびっくりしたものの、直ちにそうしました。

 後日、橋本先生にお会いした折、このことを話題にしたところ、「あれはどうみても無謀な戦争だった。赤紙一枚で戦争に駆り立てられた兵士たちの関係者も、自分たちの親、兄……たちは、そのような無謀な戦争の犠牲者だったと思っている。だから“敗戦”で、遺族会も一向にかまわない。その方が潔い」とおしゃっていました。「君たちは遺族会を色眼鏡で見すぎる」とお小言もいただきました。

 あの談話が出た当時、あれは社会党の党首・村山富市氏が個人的感慨を述べたにすぎないという向きもありましたが、閣議決定も経ている、以上の経緯からも、あれは「村山談話」というより政府が一体としたその考え方を表明した「日本国総理大臣談話」と言うべきです。

 でも、今ふり返ってみて、あの「談話」は村山さんが総理の内閣であったればこそできた、つくづくそう思いますね。連立のパートナー、自民党については、私は河野洋平外務大臣(自民党総裁)のところへ内々に案文をもってご相談に行っておりましたが、河野大臣は、テキストを懐にしまわれただけでした。恐らくあの案文を党にはかるとできるものもできなくなると思われたのでしょう。
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日本とドイツの
戦争処理の違い

――ヨーロッパでは、戦火を交えたフランスとドイツの間などでは、つとに「和解」が成立し、近現代史について共通の歴史教科書が編まれるまでになりました。また、ドイツが占領したポーランドとの間でも、ドイツ側が官民共同で「記憶、責任、未来」基金を立ち上げ、ナチ時代のポーランド人の強制労働についての償い事業が進められていると聞きますが、日本はそのようなドイツと比較して、戦後、戦争についてどのように対処してきたのでしょうか。

 韓国や中国の人、時にはドイツ(以下、東西ドイツ統一前の西ドイツを指す)の人まで、「日本はドイツを見習え」と批判する人がいますね。しかし、ことはそう単純な話ではない。2つにわけてお話ししたいと思います。

 1つ目は、ドイツが戦後熱心に取り組み、他方、日本の場合には十分でなかったところです。まず、ナチズムの犠牲者に対する、「補償」。ドイツは政府が巨額の予算を計上して熱心に行いました。補償の対象にはドイツ人も含まれています。

 次にドイツが熱心に取り組んだのが、あの忌まわしいナチズムの歴史を忘れないで、次の世代に語り継ぐということです。教育の面はもちろん、ドイツ国内各地に、ナチズムとその犠牲者を追悼するための多数のモニュメント、追悼碑を設置、その数は全国で数千個に及ぶといわれます。そしてナチス戦犯訴追をいつまでも 終わりにしないために、この件については「時効」を停止する法(刑法)改正をしました。先日も高齢のナチスの犯罪者を見つけ出し、裁きにかけたというニュースが報道されていました。

 他方、日本の場合、戦後教育の面も含めて「歴史にきちんと向き合う」「歴史を語り継ぐ」という面では、必ずしも十分ではなかったということは否定できない。最近では天皇陛下が満州事変に触れて、このことが大切であるということをおしゃっていますね。その背景には、日本の戦争責任を裁いた極東軍事裁判のことは別として、日本としてあの不幸な時代を総括する間もなく東西冷戦の時代が到来し、日本は米国を盟主とする西側陣営に入ったことから、そのいと間もなかったということもあるでしょう。

 いまひとつ、一部の識者が指摘することですが、国権の最高機関たる国会に、ほかならぬ旧日本軍で高い地位にあった人たちが舞い戻り――その中には、シンガポールで華僑殺戮のオペレーションの指揮をとった人もいた――また、もう1つのグループとして旧満州官僚の人たちがいて、その何人かは閣僚など政府の要職を占めた、ということがあったことです。

 私自身、現役時代よく国会に足を運びましたが、そこでは歴史認識、あるいは人権といった問題が、往々にして与野党間のせめぎ合いのテーマとなり、このような大事な問題について、国会の場で国民的合意形成に向けて努力するというにはほど遠い状況でした。

 他方、2つ目として、日本が戦争の傷跡の処理に対して熱心に取り組み、ドイツの方はそれについては頬かぶりしたという部分があるということです。
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それは、敗戦国の戦勝国に対するいわゆる戦争賠償のことです。日本は1951年のサンフランシスコ平和条約を受けて、米英など多くの連合国が対日賠償を放棄する中、別途の条約を結んで、インドネシア、ビルマ(現ミャンマー)、フィリピン、ベトナムにはそれぞれ巨額の賠償金を支払いました。インドネシアには803億円、ビルマには720億円、フィリピンには1980億円、ベトナムに140億円です。いずれも当時としては大きな金額です。

 加えて韓国には65年の国交樹立に際し、「経済協力」という名目でしたが、無償資金3億ドル、有償資金2億ドル(5億ドルと言えば、当時の韓国の国家予算の規模に相当する)を支払いました。またそれぞれの植民地の宗主国(英国、フランスなど)は対日賠償の放棄をしたものの、戦争の災いを受けたシンガポール、マレーシアなどにも資金――当時は準賠償と言っていましたが――を提供しました。このへんのところは、日本政府は大変生真面目に取り組んだのです。

 もちろん無謀な戦争の災禍、植民地支配の償いが金で済むという話ではありませんが、これら東南アジア諸国への賠償金の支払いが契機となって、日本と東南アジア諸国との間の経済関係が深くなっていきました。

 ドイツの方はこの「戦争賠償」の話は、いずれ東西ドイのツ統一が実現した上での話ということになっていた。しかし、91年東西ドイツの統一が実現した時、ドイツは「あれはもう昔の話」「それにドイツは他の面で十分“償い”をしてきた」ととり合わず、他方、連合国側も、あえてこれを問題にする向きはありませんでした。

 最近 “面白い”ことがありました。ドイツに散々厳しいことを言われ続けたあのギリシャが「そう言えばオレ達はあのドイツから“戦争賠償”をもらっていないな!」と言い出したことです。そして、このドイツから戦争賠償をとり立てようということを公約に掲げて首相の座についたのが、今のチプラス首相です。

 その額も1620億ユーロ、日本円にして約22兆円と半端な額ではない。でも、ドイツからはほとんど相手にされていないようですし、イギリス、フランスなどでもこれに呼応する動きは全くない。やはり、その他の面でのドイツのしっかりした取り組みが評価されているからでしょう。ギリシャはドイツ軍に占領され、あのアテネのパルテノン神殿にはナチスの旗が掲げられました。ちなみに昔、名画として皆が見たグレゴリ-・ペック主演の『ナバロンの要塞』は、そのナチスの要塞を破壊する連合国側の地下活動家たちの話です。

心配な日本の若者の
近現代史知識の欠如

――中国、韓国との間では、歴史認識を巡る対立が繰り返されています。この対立を乗り越える道はあるのでしょうか。

 私はこの点に関して大変心配しているのが、日本の若者たちの近現代史についての恐るべき知識の欠如です。よく言われるように、高等学校では日本史は必修ではない。その日本史の授業も江戸時代か明治時代くらいまでで終わってしまう。
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東京のある著名な大学で学生たちに「君たち、日本はかつてアメリカと戦争したんだよ」と話したところ、学生たちが「へー、ちっとも知らなかった」、そしてそのうちの一人がおずおずと手を挙げて「先生、それでどっちが勝ったんですか」、と。「真珠湾」という言葉を聞いた学生が「それってもしかして、真珠のとれる三重県の湾のことですか」と尋ねたという話もあります。

 お年を召した方にこの話をすると大笑いになるのですが、私も同じ話をある大学の新入生あるいは企業の入社式で話したところ、1人として笑う者がいなかった。意味がわからなかったのでしょう。不気味な感じを受けました。

 今の若い人の多くは、日本がかつて中国と無謀な戦争をして敗戦に追い込まれ、しかし戦争に勝った中国は日本に対する賠償を放棄したこと、あるいは日本はかつて朝鮮を植民地支配のもとに置き、彼の地の人たちに日本流の氏名を強要(創氏改名)し、多くの人たちを日本軍、あるいは日本の工場、炭鉱などに駆り立てたこと(徴兵、徴用)など、知らないのではないでしょうか。他方、中国や韓国の人たちは、学校でそこのところをみっちり教え込まれる。

 何も「歴史認識」について中国や韓国の歴史観に合わせよということではありません。彼らの歴史観にも一方的なところもありますから。ただ、基本的な事実だけは学習しておいてほしい。そうしないと、彼の地の若者たちとしっかりした対話すらできない。そこが心配です。ここへ来て、政府もようやく重い腰を上げ高等学校で近現代史を必修科目とすることが決まったようですが。

国際社会から見て日本の名誉を
最も深いところで傷つける発言の数々

――歴史認識についての対立が、中国、韓国との関係改善の障害になっています。

 時折、日本と韓国あるいは中国との間で、公正な共通の歴史教科書を編纂するという話が出ますが、当面とても無理でしょう。ドイツとフランスの間でさえ近現代史について、そのような本格的な共通の教科書ができたのは2006年になってからのことのようですから。とすれば、とりあえず、「歴史問題」は、この問題に通じた学者方の議論にゆだね、双方の政治のリーダーは、両国関係の大局をつかみ、大事な日中、日韓関係を「歴史問題」の「虜(とりこ)」にしないことです。

 歴史をどう解釈するか。そこには色々な見方があってよい。しかし、近年、国内の一部の風潮として「日本の名誉を取り戻す」として否定しがたい「歴史」を否定したり、これに正面から向き合わず「慰安婦など、皆、カネ目当てだった」「南京事件などでっち上げ!」などと開き直ったりする。近現代史について史料を渉猟しようとすると、「自虐史観だ。怪しからぬ。止めておけ」とも。

 このような発言が、国際社会から見れば、実は「日本人の名誉」を最も深いところで傷つける結果となっているということを、分かってほしいと思います。この点で今、気になっていることに例のヘイトスピーチの件があります。京都における特定の案件については最高裁で中止と損害賠償の判決が出たようですが、他の場所ではまだ続いているらしい。あそこで叫ばれている野卑な言葉の数々、とても活字にできるようなものではない。あれは言論の自由を越えた言論の暴力です。


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東京では新大久保のコリアンタウンが街宣の舞台。「こわい!」と言って店をたたむ向きもあるとか。日本は「民族差別撤廃条約」に加盟していることもあり、つとに国連の人権差別撤廃委員会から立法措置もふくめる適切な指導をとるよう勧告を受けています。ちなみにヨーロッパでは、このようなことを取り締まる法律があります。ないのは日本とアメリカくらいのもの。政府の対応の遅さをイライラしながら眺めています。

和解に求められる
政治リーダーの勇気

――8月14日頃出されるという、安倍晋三総理の「戦後70年談話」について、はどうお考えですか。

 私は、「謝罪」はもういいと思っています。日本は中国や韓国に対し、高いレベルで何回も謝罪してきた。私は現役時代、何回もその場に居合わせました。韓国の高官は、今度の安倍談話に謝罪の言葉がないと許さないと言っているようですが、91年の宮沢総理の韓国国会での演説、あるいは、小渕恵三総理と金大中大統領との共同宣言(98年10月)を読んでほしい。

 そこでは小渕総理が、植民地支配に対して「痛切な反省と心からのお詫び」を述べ、金大中大統領はこれを受け入れ、これからは和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させて行こうと述べたのです。

 中国については、98年10月に来日した江沢民国家主席に対し、首脳会議で小渕総理が過去の一時期における日本と中国の間の不幸な歴史に言及しつつ、「反省とお詫び」を表明され、このことは中国の新聞でも大きく報道されました。

 ちなみに、85年にドイツのワイツゼッカー大統領側が行った演説は「過去に盲目となるものは未来に対しても盲目となる」という言葉であまりにも有名です。ただ、あの演説の中には謝罪の言葉は一言もありません。演説で繰り返し強調されていることは「過去としっかり向き合ってこれを次の世代に語り継ごう、これがわれわれ今の世代の責任だ」ということです。かつて、西ドイツのブラント首相が、1970年ワルシャワのゲットー(旧ユダヤ人居住区)の記念碑の前でひざまづく有名なシーンがありますが、あれは独・仏和解が遂げられた後の出来事。ブラント首相によれば、前から考えていたのでなく、あそこでは自然とあのような所作になったということです。

 いつまでも謝り続ける、これは日本国民を卑屈にしかねません。また、日本国内の反発も相当なものでしょう。韓国の政権がかわる度に「謝罪」を強要されるのかと。そんなことをくり返していては、いつまでたっても「歴史」を克服して前へ進めません。来る「談話」で安倍総理は、謝罪の部分も含めて村山談話を、そのまま受け入れるとした上で、これからの日本について、お考えを存分にお述べになったらよいと思います。

 英語で「タンゴは2人でなければ踊れない」という言い方がありますね。「和解」も彼我の間の共同作業です。そしてそれには、双方の政治トップの人たちの国内世論におもねらない勇気と強い政治的リーダーシップが必要です。
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2015-07-18

전문가 기고: 김태식 교수(홍익대 역사교육과 )

전문가 기고: 김태식 교수(홍익대 역사교육과 ):

중앙일보 2001년 12월 27일 12面



[전문가 기고] 아키히토 일왕 발언 의미는…

이번에 아키히토 일왕의 혈연관계 발언을 놓고 일본 국민들이 놀랐다는 사실은 무척 놀라운 사실이다. 일왕가가 모두 백제 계통이라고 한 것도 아니고, 단지 멀리 1200년 전의 한 천황의 생모가 백제왕의 후손이라고 한 것이 무슨 큰일인가? 더구나 그것은 일본 사서에 나와 있는 엄연한 사실이다.
그에 비하여 이번에 아키히토 일왕이 그런 발언을 한 것에 어떤 정치적 목적이 있는지는 모르겠으나, 자신의 상식적인 생각을 솔직하게 밝힌 것이 아닌가 생각하고 싶다. 그러면 문제가 된 당시의 상황을 살펴보자.
8세기 후반에 재위했던 환무(桓武) 천황의 어머니는 광인(光仁) 천황의 부인으로, 이름은 다카노 니이가사[高野新笠]이다. <<속일본기>>에 보면 789년 12월에 환무 천황 재위 중에 그 어머니인 황태후가 죽자 그 다음 해인 790년 1월에 장례를 치르는데, 그 장례 기사 말미에 황태후는 백제 무령왕(武寧王)의 아들인 순타태자(純陁太子)의 후손이라고 나온다.
그 조상인 도모왕(都慕王, 주몽)은 하백녀가 햇빛에 감응하여 태어났고, 황태후는 그 후손이기 때문에, “높은 하늘에 있는 태양의 아들의 따님(天高知日之子姬尊)”이라는 뜻의 시호를 주었다고 되어 있다.
그런데 그 순타태자는 505년에 사아군(斯我君)이라는 이름으로 왜국에 파견되어 오랫동안 체류하다가 513년에 죽었다. 그 동안에 그는 아들을 하나 낳았는데, 그가 야마토노키미[倭君]의 선조가 되었다. 그 야마토씨가 770년대에 다카노[高野]씨로 성을 바꾸었고, 환무 천황의 생모인 다카노 니이가사는 그 일족이었다.
그들은 약 270년에 걸쳐 일본 귀족사회에서 백제 무령왕의 후손이라는 명분으로 높은 지위를 유지하고 살았던 것이다. 이것이 어떻게 가능했을까?
한반도와 일본은 고대 시기에는 비교적 문화 교류가 활발하였다. 정상적인 교류도 있었지만, 대개 한반도에서 큰 전란이 있을 때마다 대규모의 이주민이 일본열도로 들어갔다.
그러한 사례 중에 주요한 것으로는 5세기 초에 전기 가야연맹이 해체되었을 때가 있고, 5세기 후반에 백제 수도 위례성이 함락되었을 때가 있으며, 7세기 중엽에 백제가 멸망했을 때 등이 있다. 일본 고대 문화의 발전은 그들, 즉 도래인들의 이주를 계기로 고양되었다. 그래서 일본에서는 전통적으로 신라보다는 한반도에서 일찍 사라진 국가인 가야와 백제에 친근성을 보였던 것이다.
이번 아키히토 일왕의 발언은 일본의 역사 인식이 한걸음 더 발전했음을 보여주는 사례이긴 하지만, 잘못하면 일선동조론으로 비화될 수 있다. 일선동조론은 한국과 일본의 옛 조상들이 같다는 학설로서, 일제 강점기에 일본 학자들이 우리 나라 사람들을 회유하기 위해서 내놓은 학설이나, 그 연구 수준은 깊지 않다.
또한 아직은 일본 왕가의 기원에 대하여 구체적으로 밝혀진 바가 없다. 그러므로 일왕의 한마디에 고무되어, 사소한 증거들을 가지고 너무 떠들어대는 것은 삼가야 할 것이다. 한국과 일본의 혈통 관계에 대해서는 앞으로 진실을 밝힌다는 진정한 목적을 가지고 객관적으로 연구되어야 한다.
(홍익대학교 교수 金泰植, 한국고대사)

2015-03-16

정영환부교수의 박유하『제국의 위안부』서평정리 - 東アジアの永遠平和のために

정영환부교수의 박유하『제국의 위안부』서평정리 - 東アジアの永遠平和のために:

정영환부교수의 박유하『제국의 위안부』서평정리

메이지가쿠인 대학 정영환 부교수의 『제국의 위안부』서평의 각 기사를 아래와 같이 정리했습니다.

자료를 짜깁기하고 그 짜깁기한 자료군에서조차 이끌어 낼 수가 없는 근거없는 해석

식민지 지배를 ‘부정의’로 비판하는 입장을 포기하도록 요구, ‘제국’ 측으로부터 연민을 재촉

'위안부'제도에 대한 일본 정부와 군의 책임 범위를 극단적으로 한정

헌법 재판소 "결정"의 왜곡에 의한 피해자들의 권리의 소멸화

한일 협정에 관한 문헌의 그릇된 이해가 빚은 기묘한 주장

자의적인 논법에 의한 일본군의 책임 극소화, 천황을 비판하는 피해자에 대한 최대한의 저주

박유하의 일본정부에 대한 기대는 불분명, 요구하지 않아야 할 것은 명확하지만 그 근거는 지리멸렬

아이타니논문의 중간 구절을 결론처럼 쓰고 논문의 취지를 정반대로 왜곡하고 이용

■각 기사 정리 부분 발췌


증언과 자료를 짜깁기하고 그 짜깁기한 자료군에서조차 이끌어 낼 수가 없는 근거없는 해석--그것도 전 '위안부'들이 일본군에게 '동지의식'을 가지고 있었다는 중대한 해석--을 전개하는 것이야말로 '하나의 폭력'이 아닌가. 


본서에서 필자는 명확히 식민지 지배를 ‘부정의’로 인식하고 이것을 비판, 규탄하는 입장을 포기하도록 조선인 쪽에 요구하고 있다(더욱이 ‘증언자’의 말을 빌어). 그것은 일본인에 대해 ‘제국’ 측으로부터 연민과 동정을 나타낼 것을 재촉하는 듯한 서술과 대응한다. 


‘묵인’ ‘수요’ 창출이라는 그 자체로 극히 문제적이고 한정적인 일본군의 ‘책임’조차 ‘법적 책임’은 물을 수 없다는것이 본서의 박유하의 주장이다. 이러한 ‘법적 책임’론을 이해한 후에 다시 한 번 지금까지 검토한 박유하의 주장을되돌아보면, 본서가 법적 책임을 배제한 보다 광의의 ‘책임’조차 일본군에 대해서는 극히 한정적으로밖에 인정하지않는다는 점에 다시 한 번 경악을 금할 수 없다. 


헌법재판소의 「결정」은 한국정부에도 책임이 있으므로, 거기에서 배제된 사람들의 기본권을 보호할 ‘구체적인 의무’가 있다는 결론을 내린 것이다. 물론 한국정부에 책임이 있다고 해도 헌법재판소는 박유하처럼 청구인들의 배상청구권이 청구권협정에 의해 소멸되었다고 주장한 것이 아니다. 오히려 한일교섭에서 거의 논의되지 않았던 문제가 있어 여전히 청구권이 있다고 주장하는 사람들이 있는데 거기에 상응하는 근거가 있는 이상, 협정에 기초하여 해결해야 할 의무가 있다고 판단한 것이다. 「결정」을 계기로 하는 “’외교적인 해결’ 시도는 한일관계를 악화시켰을 뿐이다”(196쪽)라고 박유하는 잘라 말하지만, 왜곡과 혼동, 사실오인에 의해 멋대로 피해당사자들의 권리를 소멸시킴으로써 문제를 ‘악화’시키고 있는 것은 박유하 자신이 아닐까.


청구권․경제협력협정에 기초하여 지불된 ‘경제협력'은 ‘1937년 이후의 전쟁 동원'에 관련된 ‘청구권'에 기초하여 지불된 ‘배상금'이라는 이해는, 의거한 문헌의 주장을 박유하가 이해하지 못했기 때문에 생긴 오류이다. 더욱이 그 오류에 입각한 해석이 그 문헌 자신이 적극적으로 비판하는 주장(“사실상의 보상”설)과 맛보기식으로 접합되어 있다. 진묘한 ‘새로운 설'이 이 책에서 빈출되는 배경에는 이러한 ‘방법'의 문제가 있다고 하지않을 수 없다.


이 책의 문제는 "책임을 지나치게 넓게 파악"하고 있는 것이 아니다. 너무나도 좁게 책임을 파악하고 있는 것이다. 지금까지 살펴본 바와 같이, 이 책은 자의적인 논법으로 일본군의 '책임'을 매우 제한적으로 해석하고 '위안부' 피해자 여성들의 권리를 최소화한다. 전후모순이나 자가당착도 꺼리지 않고 정작 정부 스스로가 부정하고 있음에도 불구하고, 전후 일본정부가 '보상', '배상'을 해왔다고 강변한다. 천황제 파시즘 비판, 전후일본 비판에는 과도하게 반발하는 한편, '책임'을 논하는 단계가 되자마자 구체성을 잃고 그 책임은 수많은 추상개념 -- '제국주의', '파시즘', '가부장제', '국가', '국민국가', '자본주의' -- 로 전가된다. 특히 '구조'라는 개념은 '운명'이라는 말과 함께 이 책에서는 주체, 즉 일본군이나 정부(그리고 사실은 한국정부)의 책임을 해제하는 경우에만 소환된다고 할 수 있다.
"천황이 내 앞에 무릎을 꿇고 사죄할 때까지 나는 용서할 수 없다"는 '위안부' 피해자 여성의 말에는 '오만과 규탄', '상대의 굴복 자체를 목표로 한 지배 욕망의 뒤틀린 형태', '굴욕적인 굴복 체험의 트라우마에 의한 또 다른 강자주의'라는 최대의 매도를 퍼붓고, 얼토당토않게 '대일본제국의 이인자로서 구미연합군 포로를 학대한 역사'에 비유한다. 천황 비판은 포로학대와 같은 '강자주의적 욕망'이라고 폄하했다고 하더라도 '생생한 소리에 귀를 기울이려고 한다'고  스기타는 평가하는 것일까. 한편 '내가 잘못된 세상에 태어난 것도 내 운명. 내가 그렇게 다룬 일본인을 나쁘다고 말하지 않는다'는 증언은 교묘히 강탈하여 "'운명'이라는 말로 용서하는 것과 같은 그녀의 말은 갈등을 화해로 이끄는 하나의 길을 보여주고있다. [중략] 갈등을 해결하는 계기가 결코 체험 자체와 사과 여부에 있는 것은 아님을 말해 준다"(92-93쪽)고 칭송받는다. 이것은 '귀를 기울이'는 것이 아니다. 박유하의 주장의 대변이며, 증언의 찬탈이 아닌가.


결국 한일협정의 한계’와 관련하여 박유하는 일본정부에게 무엇을 기대’하는가를 확실히 하지 않았다.“당시의 시대적 한계를 볼 것” “시대적 한계를 검증하고 보충할 것” “냉전체제” 하에 “식민지 지배에 대해 철저하게 되물을 기회를 한일 쌍방에게 부여하지 않은 것을 인식할 것” 등의 애매한 레토릭이열거될 뿐이다.
다만, 박유하가 일본정부에게 요구하지 않는 것만은 명확하다. 과거의 위안부’ 여성들은 손해배상을 청구할 수 없다, 식민지 지배 당시에는 책임을 물을 법’은 없었으며, 한일협정에 의해 법’은 없어졌기 때문이다(모순이지만). 한일협정에 따른 분쟁 해결도 하지 않아야 한다(헌법재판소 결정 비판), “한일 관계를 악화시켰을 뿐”이기 때문이다. 문제가 명확히 드러난 현재의 입장에서도 법’을 만들지 말아야 한다(한일협정 재협상 비판), “문제가 복잡해진다” “국가로서의 신뢰가 무너져 버리기” 때문이다. 박유하에 따르면 해야 할 것은 이것들 이외의 일이다.

  
  「3 국제법에 의한 주장에 대하여」는 네 파트로 구성되어 있고, 각각 번호가 붙어 있는데, 박유하는 그 중의 ①②③만을 소개하고 왠지 3절의 결론에 해당하는 위의 ④에 대해서는 한마디도 언급하지 않는다. 그 결과 ③의 말미의 위법성의 근거이므로 배상에 대해서는 다른 법에 의해서 주장해야 한다는 의미의 "이 조약이 손해배상을 해야 한다는 근거는 될 수 없다"는 한 구절이 마치 3절의 결론인 것처럼 독자에게 제시되어 "손해배상을 요구하는 것은 불가능"하다는 박유하의 주장의 '근거'가 되었던 것이다. 반복하지만, 아이타니 논문은 이러한 주장을 전혀 하지 않았다. 여기에서도 박유하는 논문의 취지와는 완전히 반대 주장의 근거로 왜곡하고 있는 것이다.

2015-02-22

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