2026-09-27

激しく考え、やさしく語る 私の履歴書 (日本経済新聞) 山折哲雄

Amazon.co.jp: 激しく考え、やさしく語る 私の履歴書 (日本経済新聞出版) eBook : 山折哲雄: Kindle Store




激しく考え、やさしく語る 私の履歴書 (日本経済新聞出版)
by 山折哲雄 (Author) Format: Kindle Edition

3.9 3.9 out of 5 stars (10)

Book 1 of 1: 激しく考え、やさしく語る 私の履歴書


「生の終焉 軽くなる存在」「重荷の対極に涅槃の境地」――2018年3月に日経新聞朝刊に連載された「私の履歴書」の連載第1回の見出しは異彩を放った。多くの読者を獲得した『「ひとり」の哲学』の著者が来し方を振り返ると、その個人史は特に戦後、多くの日本人が失ってきたものを血肉化して次代につなぐ孤独な闘いであったことがわかる。
日本に「哲学」は存在しない、あるのは「思想」だけであり、源流は著者のライフワークでもある親鸞をはじめとする仏教者に淵源を求め、その思想は万葉の歌、そして縄文にさかのぼる。そこに辿り着くためには、マルクス主義への傾倒、ドストエフスキーへの耽溺、インドへの渇望、柳田國男への共感など様々な経緯を辿るが、故郷・花巻を故郷と思えない米国生まれの希有な生い立ちが「ひとり」の哲学に起因していることに行き着く。
と、第一部はある宗教学者の「私の履歴書」ではあるのだが、その来し方を「何ともうっとうしい重い荷物」と言い切るところが、よくある自伝とは趣きを異にする。その断章に近い第一部の一篇一篇が基づく思想を、日常的な言葉によって身近なものにするために、執筆後にロングインタビューを敢行、第二部として収録した。第一部・第二部双方が光となり影となって補い合うことで、著者の孤独な闘いで得てきたものが見える。特に戦後、いや近代化が始まった150年前から、日本人が失ってきたものなのだ。
人生百年時代と言い、多くの人が老いのその先を生きねばならなくなった。終活のみが盛んに叫ばれるが、それは突き詰めればお金の問題に過ぎず、生き方とは何の関係もない。生き恥を晒すか、晩節を汚すか、すべては覚悟の問題だ。日本人は古来、死後の世界のことを見据えて生きてきた。そのことに思いをはせることなく、よく生きることはできないのではないか。本書では、ひとりの個人史が時代への大きな問題提議となっている。

Book 1 of 1

激しく考え、やさしく語る 私の履歴書
Print length184 pages

From Japan

イエスちゃん
5.0 out of 5 stars 
誠実な浄土真宗西本願寺派での迷走の軌跡:親鸞把握の致命的な欠陥
Reviewed in Japan on March 1, 2020
Format: Paperback Shinsho
誠実な浄土真宗西本願寺派の学究者として、今まで尊敬して来た。
正直な告白に対して、その学恩を感じている。
そして、
本書で、親鸞聖人の信仰の把握において、迷走の軌跡を知るに至った。
著者は、親鸞聖人の信仰の発展を、次々と否定する関係として「3段階」とする。
(1)漢文の主著『教行信証』の時代
(2)今様に対応する日本語の『和讃』の時代
(3)最後は『自然法爾の手紙』の時代
そして(4)『歎異抄』の「悪人正機」を理解できないと告白する。
更に、最晩年の『自然法爾の手紙』を弘法大師・空海と同じ教えとまで結論付けている。
これには、本当に仰天した。それも著者87歳の長年の結論である。
「最後まで迷走である軌跡を、何んとも、正直に告白したものだ」と感心した。
つまり、著者は、最後は、仏教ではなく「日本教」になってしまっていたのである。

著者は(2)『教行信証』の主題は、「信の巻」の「父親殺しは阿弥陀仏に救われるのか」であり、
(鎌倉時代の武士は、親子で、兄弟で、殺し合っていたので、現実の重大問題だった)
親鸞は、「救われる条件に2つ」を付けたと結論づける。
それは「懺悔」と「良き師につく事」の2つである。
更に、この結論から(4)「悪人正機」の「無条件の赦し」が理解できないとなってしまう。
更に、(1)を否定したのが(2)の『和讃』であると論理展開する。

しかし、私は違うと考える。
(1)も(2)も(4)も一貫していて、「懺悔」と「良き師につく」が「往生に重要である」と教えている。
初めに、(2)の『和讃』は三帖和讃『浄土和讃』、『高僧和讃』(良き師である)、『正像末和讃』である。
特に、「懴悔」においては、以下のように吐露されている。
・(94)浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし
・(95)外儀のすがたはひとごとに 賢善精進現ぜしむ 貪瞋邪偽おほきゆゑ 奸詐ももはし身にみてり
・(96)悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる

次に、(4)の「悪人正機」も「自己を「悪人と自覚し」ている(懴悔)人こそ、極楽往生の正機である。
「自己を善人として慢心している人」でさえ往生できるのだから。」という論理であるから。

この中で「最晩年の(3)」こそが決定的な転換であり、最重要である。
つまり、「ペルシャ起源の西方の浄土教」から「本来の仏教」に回帰したのである。

著者はここでも迷走して「現状の、そのままの状態でいい」と誤解しているが、それは「外道の教え」である。
そうではなく
「流れていくまま」を受容せよ!つまり「諸行無常」の「縁起の思想」である。
「自己の意思」で生きようとするな!そんな「自己」などはない。つまり「諸法無我」である。
要は、超能力者「阿弥陀如来」の虚構から脱して、本来の仏教に回帰したのである。

それに引き換え、
弘法大師・空海は、大日如来の超能力を信じており、それを引き出す呪術へと転落させた。
「インド密教」は、ヒンドゥー教の教えを大量に取り入れ、インドで自滅した。
仏教は、ヒンドゥー教に吸収されて、神々の一人となってしまった。

空海の真言密教も、土着信仰と融合して「日本教」になってしまった。
「神仏習合」(神と仏が合体する)、「本地垂迹」(元々の仏が、神の形で現れる)

だから、親鸞聖人が最晩年に「空海大師と同じ教え」などは、有り得ないことである。

日本人は、「仏教」が「無常」「無我」「無記」である事が理解できなかった。
著者の迷走もそこに原因がある。
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예수님
5.0 out of 5 stars 
성실한 정토진종 니시혼간지파에서의 미주의 궤적: 친척 파악의 치명적인 결함
Reviewed in Japan on March 1, 2020
Format: Paperback Shinsho

성실한 정토진종 니시혼간지파의 학구자로서 지금까지 존경해왔다.
정직한 고백에 대해 그 학은을 느끼고 있다.
그리고
이 책에서 친진성인의 신앙 파악에 있어서 미주의 궤적을 알게 되었다.
저자는 친진성인의 신앙의 발전을 차례로 부정하는 관계로서 '3단계'로 한다.

(1)한문의 주저 『교행신증』의 시대
 (2)이제
에 대응하는 일본어의 『화찬』의 시대 또한 최저년의 '자연법의 편지'를 홍법대사·공해와 같은 가르침까지 결론을 내리고 있다. 이것에는 정말로 앙천했다. 그것도 저자 87세의 오랜 결론이다. “마지막까지 미주인 궤적을 정말 솔직히 고백한 것이다”라고 감탄했다. 즉, 저자는, 마지막은, 불교가 아니라 「일본교」가 되어 버리고 있었던 것이다. 

저자는 (2)『교행신증』의 주제는, 「신노마키」의 「아버지 살해는 아미타불에 구원받는 것인가」이며, (가마쿠라 시대의 사무라이는, 부모와 자식으로, 형제로, 서로 죽이고 있었으므로, 현실의 중대 문제였다) 그것은 '참회'와 '좋은사에게 붙는 일'의 두 가지이다. 
또한, 이 결론으로부터 (4) 「악인 정기」의 「무조건의 용서」를 이해할 수 없게 되어 버린다. 또한, (1)을 부정한 것이 (2)의 「화찬」이라고 논리 전개한다. 

그러나 나는 다르다고 생각한다. (1)도 (2)도 (4)도 일관되고 있고, 「참회」와 「좋은사에게 붙는다」가 「왕생에 중요하다」라고 가르치고 있다. 처음에, (2)의 『화찬』은 三帖和讃『정토 和讃』, 『高僧和讃』(좋은 선생님), 『정상말 和讃』이다. 특히, "회회"에서는 다음과 같이 토로된다.・(94) 정토 진종으로 돌아가지만 진실의 마음은 고맙고 허가부실의 우리 몸에서 청정의 마음도 더 없음 마음은 뱀파리와 같이 되어 수선도 잡독하는 유즈에 허가의 행과 어울리는 다음에, (4)의 「악인 정기」도 「자기를 「악인과 자각」하고 있는 (懴悔) 사람이야말로, 극악왕생의 정기이다. 「자기를 선인으로서 만심하고 있는 사람」조차 왕생할 수 있으니까. 라는 논리이기 때문에. 이 중 '최저년(3)'이야말로 결정적인 전환이며 가장 중요하다. 즉, 「페르시아 기원의 서방의 정토교」로부터 「본래의 불교」로 회귀한 것이다. 저자는 여기에서도 미주해 “현재의, 그대로의 상태로 좋다”라고 오해하고 있지만, 그것은 “외도의 가르침”이다. 그렇지 않고 "흐르는 대로"를 받아라! 즉 「제행 무상」의 「연기의 사상」이다. 「자기의 의사」로 살려고 하지마! 그런 '자기' 등은 없다. 즉 「제법무아」이다. 요점은 초능력자 ‘아미타 여래’의 허구에서 벗어나 본래 불교로 회귀한 것이다. 그러면서 홍법대사·공해는 대일 여래의 초능력을 믿고 있어 그것을 끌어내는 주술로 전락시켰다. '인도밀교'는 힌두교의 가르침을 대량으로 도입해 인도에서 자멸했다. 불교는 힌두교에 흡수되어 신들의 한 사람이 되어 버렸다. 공해의 진언밀교도 토착신앙과 융합해 '일본교'가 되어 버렸다. '신불습합'(신과 부처가 합체한다), '본지수상'(원래 부처가 하나님의 형태로 나타난다 . 일본인은 '불교'가 '무상' '무아' '무기'라는 것을 이해할 수 없었다. 저자의 미주도 거기에 원인이 있다.
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イエスちゃん
助動詞「た」、「テ形」;「日本語文法」を破壊する「日本語文法学会」「日本語文法学会」は、「膠着語・日本語のメカニズム」を、 全然、知らないから「日本語文法」を破壊する! 「外国人の日本語学習者」に必要なことは、 「日本語の文」を「単語」に分解して、知らない「単語」を「辞書」で調べる。 その後、「日本語の固有のメカニズム」を用いて、その文の意味を解釈することである。 これが「日本語文法」の「役割」である。 ここで、「他の外国語(英語など)の文法の概念」を、持ち込んではならない。 例えば、「日本語文法」そのものには、「英語文法のテンス・時制」の概念はない。 代わりに、「昨日」「3月3日」などの名詞や、前後の文脈から、英語文法の「テンス」を表現する。 助動詞「た」には「時間の概念」はないので、「過去・現在・未来」の事柄の全てで用いられる。 だから、この事典での助動詞「タ」の項目(P370)の「超複雑な説明」は、完全なる誤りである。 助動詞「た」は、「話者の主観的な認識」において、 「間違いなく“そのような事柄”が成立しているのだと、判断する」ことを意味する。 『助詞・助動詞の辞典』2007/9/1 森田良行 (著) 脇道にそれるが、 大野晋も、次のように、説明している。 日本語は、「未来」を「主観的な推量・意思」で表す。 (一週間後に)必ず、「行く」!・・・「意思の表明」である 英語文法「テンス・時制」では「未来形」で表現する必要がある。 以下、具体例で、示す。 なお、この文法法則で、小学生でも、簡単に、正確に、日本語を用いている。 (例1)昨日、雨が降った。 ・・・「昨日、雨が降る(確かに成立している)」・・・時制では「過去」の事柄 (例2)あっ、あったよ!ここにあった! ・・・「ある(確かに成立している)よ!…」・・・時制では「現在」の事柄 (例3)向こうの「屋根に緑のペンキを塗った」家 ・・・「屋根に緑のペンキを塗る(確かに成立している)」家 過去にペンキを塗り、それが「現在まで継続している」のではない! (例4)今日は、疲れた。 ・・・「今日は、疲れる(確かに成立している)」   疲れているのは「現在」である。「過去」ではない。 (例5)喉が、渇いた。 ・・・「喉が、渇く(確かに成立している)」   渇いているのは「現在」である。「過去」ではない。 (例6)明日、最初に、学校に行った人が、教室の鍵を開けること! ・・・「最初に、学校に行く(確かに成立している)その人が、教室の鍵を開けること。   英語で言う「テンス・時制」としては「未来」の事柄である。 (例7)来月、米国に行ったら「ば」、鞄を買う。 ・・・「米国に行く(確かに成立している)ならば、鞄を買う。」   英語で言う「テンス・時制」としては「未来」の事柄である。   なお、助動詞「た」は、その意味から、「命令形」がない。   だから、接続助詞「ば」を、省略してもよく、常に「仮定形」である。 (例8)「明日、英語の試験があった」と思う。 ・・・「明日、英語の試験がある(確かに成立している=これは事実だ)」と思う。   英語で言う「テンス・時制」としては「未来」の事柄である。 (例9)今日は大根が安いよ!さあ、奥さん、買った!買った! (例10)邪魔だ、邪魔だ!さっさと、どいた!どいた! ・・・「買う」「どく」という動作が「確かに成立」から、「命令形の意味」になる。   英語で言う「テンス・時制」としては「現在」の事柄である。 要は、 助動詞「た」には、「時間の概念、過去・現在・未来の時間軸」の意味は存在しない。 英語文法での「テンス・時制」の意味は、他の方法、「時間の単語」や「前後の文脈」などで、表現する。 更に、「助動詞の指定順序」の文法規則では、 助動詞「た」のこの意味上から、必ず「文」の「最後の位置」に、指定する。 ・昨日、雨が、降っ+た。 ・昨日、雨が、降ら+なかっ+た。・・・「降っ+た、ない」は、誤り! ・太郎は父から数学を、教え+られ+たく+なかっ+た。  ・・・「教え+た、られ・たく・ない。」は、誤り! 〇 〇 〇 日本語は、「単語」の区切りが容易に認識できる。 その理由は、発音が単純で「五十音(1子音+1母音)」であり、 しかも、母音は「あいおえお」の5つしかなく、単純であり。更に、 「助詞」や動詞・助動詞の「活用部分」で、区切りが認識できる。 だから、英語のような「空白」を入れずに、つなげて記述が可能となる。 「和歌の短冊」などは「さらさらと、一本の線になって」も 「単語」の切れ目を、日本人ならば、認識できる。 「日本語文法学会」の誤りは、 「膠着語である・日本語」を、「屈折語である・英語」の「観方」で 「日本語」を把握しようとしている所に、その原因がある。 米国の「母語が英語の言語学者」が観察した「記述文法」だからこの結果になった。 他方、母語が外国語である人間が、外部から、観察するのではなく、 日本語を知っている、内部から、詳細な意味を理解している人間が、 その法則を発見するのと、次元が異なる。 「日本語文法」は、江戸時代の本居宣長から、連綿と研究が続けられて、 多くの「日本語の文法法則」が発見されてきた。 その「日本語の根本メカニズム」を、以下に示す。 日本語は、「膠着語」である。 「単語」を、「膠」で着けて、「文」を作り出す。 大野晋の説明では、次のように示されている。 「単語」:「言葉」として「意味」を持つ「最小の単位」。 「動詞文」の場合、例として「練習する」で説明する。 少年時代、太郎+は、父+から、野球+を、毎日、 「練習さ+せ+られ+たく+なかっ+た」。 ここで、「動詞の前」の要素は、「動詞」に対する「補語」である。 「名詞」は「単語」である。 これの「動詞」との「膠・結び付け」を「助詞」が行っている。 「名詞」の意味から、動詞との関係が明確の場合は、「助詞」は必要ない。 「動詞の後」の要素は、「動詞を助ける働き」をする「助動詞」である この「動詞」を含む「述部」は、「単語」の「膠・結び付け」を「活用」で行う。 「述部」の「単語」は、6つあり、「終止形」で示すと… 練習する、させる、られる、たい、ない、た。 これが、「日本語の根本メカニズム」である。 〇 〇 〇 だから「形態論」の説明の項目は、正しくない。 要は、「単語」の「区切り」が認識できていない。 つまり、「文」「食べたい」は、 「単語」に分解すると、「たべ」「たい」の2つの「単語」である。 だから、P177の「図1」は、正しくは、 「読む」の活用形は「まみむめも」の部分である。 「読ま」+助動詞「ない」 「よんだ」「よみ・た」=「読み」+助動詞「た」撥音便 「読み」+助動詞「ます」 同様に、他の部分でも、 また、「屈折語」「ゲルマン語・ラテン語」で観るから、 「時制 x 否定」のマトリックスで纏めようとする。 これも、 現代日本語文法には「テンス・時制」が存在しないのだから、ナンセンスである。 〇 〇 〇 本居宣長からの「日本語文法の研究成果」を破壊している。 「記述文法」方式であり、 「英語の話者」が、外部から、日本語の会話を観察して、 「或る発音の塊」を抽出して、「英語の意味」を対応させる操作で、創り出したものである。 だから、 「日本語の文」を「単語」に分解して、その文法法則を、見つけることをしない。 「複数の単語を塊のまま」で、操作する。 そして、 「日本語の文」の中に、英語文法の「テンス・時制」を探すような間違いに陥る。 なお「アスペクト」は、「日本語の文」にも、対応するものが存在する。 (もともと、「アメリカインディアンの複数の未知の言語」を、 「母語が英語の、言語研究者」が、外面から「観察」して、 そこに「英語で、自分が理解できる意味」を抽出して、組み立てた文法である。 これに対して、江戸時代の本居宣長や弟子たちや、橋本進吉先生たちが、つまり、 「母語が日本語の言語学者」が、「内部の意味」から、日本語文を、分析するのと、 まったく、異なる。) ★助動詞「た」の活用「仮定形」の「たら」の説明 そもそも、助動詞「た」は「~て、あり」の複合語から、 (古文の助動詞の「たり」から)、変化したものである。 だから、古文では、次の、2つの用法がある。 「未然形」用法の場合、 「汝、男の子ならば、女の子を守るべし」 ・・・もしも、あなたが、男性ならば、女性をまもるべきである。    (しかし、女性だから、できない) 「已然形(現代文の仮定形、エの段)」用法のばあい、 「汝、男の子なれば、女の子を守るべし」 ・・・あなたは、男性であるので、女性をまもるべきである。 現代文では、古文の「未然形の用法」がなくなり、 代わりに「仮定形」を用いる。 これが、助動詞「た」でも、同じ、「ねじれの変化」を起こしている。 つまり、 「フグをそのまま食べたら、死ぬ」 更に、助動詞「た」には、その意味上「命令形」が有り得ないので、 接続助詞「ば」を、省略しても「仮定形」の意味になる。 他方、 普通の「動詞」の場合、接続助詞「ば」の有無で、「仮定形」と「命令形」を区別する。 (例)五段活用の「エの段」  「歩け」・・・命令形  「歩け“ば”、健康に良い」・・・仮定形 つまり「たら」と「たらば」とは、同じ意味「仮定形」となる。 「フグをそのまま食べたら“ば”、死ぬ」 「フグをそのまま食べたら、死ぬ」 ★「テ形」という誤り!・・・接続助詞「て」と「と」の相異点 そもそも「テ形」とは、「別の単語」であり、接続助詞「て」である。 つまり、「動詞の語形変化」ではない! 接続助詞「て」と「と」の相異点は、この「事典」では、説明できない。 前者は「動詞の連用形」で接続する、 後者は「動詞の終止形」で接続する。 (例1)太郎が、部屋に「入る」。     太郎が、部屋に「入っ」て、窓を「開けた」。…開けたのは、太郎。     太郎が、部屋に「入る」と、窓を「開けた」。…開けたのは、誰か?    ・・・「入る」が「終止形」なので、格助詞「が」の太郎は、有効ではない、続かない。 花子は、太郎が、部屋に「入る」と、窓を「開けた」。…開けたのは、花子。    ・・・副助詞「は」は、「終止形」を越えて、有効となるから。 要は、「日本語の内部からの固有の法則」を、見つけ出さなければならない。 〇 〇 〇 〇 日本語は、「膠着語」である。 「単語」を、膠で着けて、繋いで、「文」を構成する。 日本語は「五十音」だから、助詞や活用形などで、日本人は、簡単に、単語の区切りを認識する。 だから、「英語のように、空白で、単語を区切って、表記する」必要はない。 以下の「例文」に対して「日本語文法」を考える。 この文は、「動詞文」である。 少年時代太郎は父から数学を教えられたくなかった。 これを「単語」に、分解する。 少年時代、太郎は、父から、数学を、教え・られ・たく・なかっ・た。 ・動詞文の「述部」は、5つの「単語」から構成される。  動詞「教える」、助動詞「られる」「たい」「ない」「た」 ・その「結合方法」は、各々の「単語」の「活用形」で行う。 ・その「結合順序」は、「られる」「たい」「ない」「た」の順序である。 「日本語文法学会」は、この「基本構造」の文法を、説明できない。 ・日本語の最小の単位である「単語」とは、何か?どのように分類するか?  「テ形」は、正しくは、接続・助詞「て」である!  「たら」は、助動詞「た」の「活用形」である! ・この「られる」「たい」「ない」「た」の「順序規則」は、どこで、どの様に、説明しているのか?  「なぜ、この順序でなければならないのか」の「理由」は、どこで説明しているのか?10

「生死の巻」を重視・共鳴するなら、道元とは「別の宗教」!瑩山禅師の「密教の禅」である。「生死の巻」は、道元の主著『正法眼蔵』ではありません! つまり、この「著者」は、瑩山禅師の「密教の禅」を、信じています。 逆に言えば、道元の教えが、全然、理解できていません。 道元は「正伝の仏法」「原始仏教」です。だから、 「不立文字、教外別伝」「直指人心、見性成仏」を批判しています。 〇 〇 〇 「現在の日本曹洞宗」は、全て、 大本山「総持寺」の、太祖「瑩山禅師」の法孫である。 「日本天台宗・達摩派」初祖「大日能忍」禅師の「お悟り」である「天台密教の禅」である。 これは、瑩山禅師の主著『伝光録』で記録された「提唱」で、明確に示される。 瑩山禅師自身は、師の「義介禅師の教え」と「道元の教え」とは、 「別の宗教」であるのを解っていて、「義介」禅師の「天台密教の禅」の方を選び取った。 しかし、布教の方便として、道元の貴族としての著名さ、 実父は、大納言・久我通具、祖父は、内大臣であり、天皇の外戚という宣伝効果から、 「如浄禅師」を「高祖」に据えて、「道元の教え」を完全に封印することで、 「白山天台」のルートを用いて、天台古寺を復興しつつ、日本列島全体に布教した。 伝光録 / 傳光録 (岩波文庫)  瑩山禅師 1944年 横関了胤 校訂  瑩山紹瑾(けいざん じょうきん、諡号:佛慈禅師、弘徳圓明国師、常済大師  文永5年10月8日(1268年11月21日) - 正中2年8月15日(1325年9月29日))  日本の曹洞宗の第四祖。  瑩山禅師と呼ばれる  横関了胤 宗派最高専門道場、大本山永平寺僧堂修了  昭和10年より曹洞宗門制度調査僧幹事  傳光録 52章からなる 安政4年仏英和尚の開板にかかる 瑩山和尚傳禄(仙英本)がベースとなっている  道元禅師の正法眼蔵に並ぶ最高の宗典として重んじられる。3

瑩山禅師は、日本仏教史上、最大の改革者、「真の日本仏教、ご先祖様信仰と融合」最初に、 P151に「道元和尚が如浄禅師から与えられた嗣書」の写真が載っている。 そして、道元から嗣書を与えられたのは「義尹」である。 この「道元が授かった嗣書と、完全にそっくりの書式」であり、 その法系の嗣書の図では、「道元と義尹とが、直接、線で結ばれ」ている。「懐奘」を間に入れない。 1241年であり、つまり、その時点の「道元の代理」は「懐奘」ではなく、「義尹」である。 (「僧海」が嗣法した時は、首座には僧海が就き、「懐奘」は下ろされた。懐奘は嗣法していないから) だから、「義尹」は、如浄禅師の17回忌法要(1243年)27回忌法要(1253年)と道元和尚の代理で中国に渡っている。更に37回忌(1263年)には『道元禅師語録』を持って三度目の渡航をして、序文や再編をお願いしている。これで解ることは、教団では、ずっと、道元の嗣法は「義尹」と認められ、「道元の代理、教団の代表」だったのである。 〇 〇 〇 日本曹洞宗には、他宗とは異なり「祖師」が、二人いらっしゃる。 だから、「本山」も、二つある。 福井県の「永平寺」と、横浜市鶴見区の「総持寺」と。 そのお二人の祖師とは「高祖・道元和尚」と「太祖・瑩山禅師」。 「道元の法系」は途絶え、現在はみな「瑩山の法系」だけである。 「道元和尚」は「正伝の仏法」つまり「原始仏教」である。他方、 「瑩山禅師」は「日本天台宗・達摩派、天台密教の禅」である。 両方共、正統であり、同等であり、両方共が、正しい。 〇 〇 〇 この「瑩山禅師」は、日本仏教史上、最大の改革者である! 伝教大師「最澄」が開いた「日本天台宗」を完成させ、更には、 仏教と日本人土着の心情を基盤にした「ご先祖様信仰」とを融合させた。 これで、ようやく、本当の意味での「日本仏教」が完成した。 そして、 昔からの「白山天台」のルートを用いて、古寺を復興させながら、 日本列島全国に、精力的に布教した。 その結果、戦国時代までで、1万7千ヶ寺ものの大教団に発展した。 また、瑩山禅師の信仰は、白山・山岳仏教、修験道、白山神社(観音信仰)、 …日本人の全ての信仰を含めたものだった。 更に、この「お彼岸とお盆」の「ご先祖様へのおもてなし、供養」が、 全日本人の共通の「年中行事」として定着した (「教義」が不要なので、他宗もみなこれを真似て導入した)。 〇 〇 〇 瑩山禅師「天台密教の禅」が日本人を救った! 瑩山禅師は「天台密教の禅(日本天台宗・達摩派)」であり、 その教えは、義介禅師の代理での提唱をまとめた主著『伝光録』で示される。 なお、伝法の記述は、「懐奘」から「義介」への嗣法は有り得ないので、「懐奘」までで、終わらせている。 (「義介」は、既に「懐鑒」から「達磨宗」を嗣法しているから)。 他方、 道元和尚の教え「正伝の仏法」は、「原始仏教」であり、 「僧海」は若くして亡くなり、「義尹」の法系でのみで伝わり、 九州地方の布教が中心であり、その後、途絶えたので、 日本仏教史への影響は、事実上、なかった。 瑩山禅師は、最晩年、自己の教えの根源を、如浄禅師にするために、 「五老峰」という「仏塔、ストーパ、土饅頭」を築き、 「高祖」を「如浄禅師」と定め、そこに『如浄禅師語録』を埋めた。 (これで、道元和尚の教えは「如浄禅師と全く同じだ」として、完全に封印した) つまり「五老として伝わった、という神学」を目に見えるようにし、祭りの行事実施も遺言し、体感するように定めた。 この「五老」とは 「如浄禅師、道元和尚、懐奘禅師、義介禅師、本人・瑩山禅師」である。 そして、その中身は初祖「大日能忍」禅師の「日本天台密教の禅」だった。 「大日能忍」は独自に「禅語録」を学び、それに則り修業し「無師独語」なさった。 「梵我一如」のお悟りである。しかし、これは殆ど「中国禅」と同じである。 「瑩山禅師」は、「覚晏」「懐鑒」「義介」と嗣法されて、その「五祖」に当たる。 「義介禅師」が「懐奘禅師」の命令で、中国・宋に渡り「僧侶への葬儀」を調査して帰国した。 それを、「在家の葬儀」へ応用して布教・普及した。所謂「葬式仏教」の始まりである。 死者が「中有」で「魂」がまだ空中を漂っている段階で、授戒し、仏弟子になして、 新しく生まれ変わった者として「戒名」を授け、その後、 導師が、引導を渡し、三途の川を無事に彼岸まで送り届け「仏様」となす。 死者は「ご先祖様という神様」となって、自分の子孫に恩恵を与え続ける。 お彼岸とお盆に、ご先祖様をお迎えして、おもてなしをして、盆踊りで楽しんでいただき、 その後、再び、送り火を焚き、お送りする。 これは日本古来の神様との関係(氏神と氏子の贈与の関係)であり、 「仏教の教義」が必要ないので、他宗もそっくり真似た。その結果、 現在では、日本人の「年中行事」になっている。 唯仏与仏 仏法は、人の知るべきにはあらず。このゆゑにむかしより、凡夫として仏法を悟るなし、二乗として仏法をきはむるなし。ひとり仏にさとらるるゆゑに、唯仏与仏、乃能究尽 ====最後、まとめて、みました==== 栄西禅師も、(孫弟子に当たる)円爾禅師も、 「日本天台宗・達摩派」五世・瑩山禅師も、 みな「天台密教の禅」「日本天台本覚思想」である。 これこそが「日本仏教の中心」であり、平安から中世にかけて、 日本列島の人々を救ってきた、「王道」である。 瑩山禅師は、 中国大陸「禅宗史」では、何も影響を与えない、 「普通の臨済宗の僧侶」として振る舞い(曹洞宗を隠していた)、 日本でも知られていない、 「如浄禅師」を「高祖」とし、 さらに、根本的教えとして『如浄禅師語録』とした。 道元には、『正法眼蔵』ではなく「霊骨」を崇めるだけで、 お働きを、単に、「如浄禅師の教え」をそのまま伝えただけとした。 その理由は、 『如浄禅師語録』は、瑩山禅師の『伝光録』に繋がるが、 『正法眼蔵』は『伝光録』を否定するものだったからである。 だから、瑩山禅師の下では『正法眼蔵』は完全に封印された。 他方、臨済宗の「公案禅」が行われ、 「日本天台宗」の「密参」が行われ、天台教学の学びや、 多くの「密教兼修の臨済宗僧侶」との交流が活発である。 伝教大師「最澄」が始めた「日本天台宗」を完成させ、 白山天台のルートで、日本列島に布教し、戦国時代には、 1万7千ヶ寺もの大教団に発展し、 日本人を救ってきた。 所謂、「葬式仏教」は「義介禅師」「瑩山禅師」が始め、 他の宗派もこれを取り入れたので、日本の仏教の本質となった。 なお、道元は、懐奘に、嗣法していない、と考える。 懐奘の主著を読むと「日本天台本覚思想」そのものであるから。 懐奘は、 (義尹が道元の代理で、1253年に、 「如浄禅師の27回忌法要」に派遣されて、留守なので)、 永平寺の「寺院運営」を託されただけと考える。 また、懐奘禅師は、既に、日本達磨宗で嗣法している。 むしろ、そちらの方を、選び取っており、 日本達磨宗の懐鑒禅師に嗣法した義介禅師と一体である。 他方、「中国禅」の流れとしては、 渡来した、中国人の「寂円禅師」の弟子、 (義演禅師の黒幕だった)「義雲禅師」は、「永平寺」五世に就いた。そして、 「自己の権威の正統性」のために『正法眼蔵』60巻本を編纂した。これは、 道元が「中国禅、臨済禅師、徳山禅師、…」を批判する「巻」を、除いて編纂した。 それ以外の巻は、『秘密・正法眼蔵』とした。これは、道元の執筆、編纂した 本来の「従来の巻、旧草」75巻本と「新規追加の巻、新草」12巻本に、対応する。 瑩山禅師は「天台密教の禅」であり、義雲禅師は「中国禅」だった。 ここで、第三の法系、 道元の「正伝の仏法」「原始仏教」は、「義尹禅師」が嗣法した。 この法系では、 道元の「嗣書」と全く同じ形式の「嗣書」に対して 新たに「一人ひとりを追加した形」で、代々、与え続けている。 この「嗣書」は、瑩山の法系、義雲の法系には、伝わっていない。 ここでの血脈図では、「道元から直接、義尹に線で結び」ついている。 間に、懐奘は、入っていない。 しかし、この独立した流れも、 元禄年間に、江戸幕府の「社寺奉行達」で、永平寺の末寺に組み込まれた。1

「釈尊の仏教」は、「これ」と全く、異なる。正反対である。釈尊の課題は、ひとつだけ、それは「死苦」だった。 バラモン教では、救われなかった。ウパニシャド哲学「梵我一如」で、救われなかった。 釈尊は、一人息子を造り、社会的義務を果たしてから、 29歳の時に、その妻子・家族を捨てて、「バラモン教の社会」の外に出た。 「出家」した。 瞑想の二人の師について、完全に習得したが、瞑想では、「死苦」は救われなかった。次に、 「苦行、断食行」を、5人の仲間と行ったが、苦行では、「死苦」は救われなかった。 最後は、自分一人で、 「死苦」に正面から、対峙することにした。 そして、「浅い禅定と深い禅定の間」を何度も往復して、 自己の心の中で「死苦が起ってくるプロセス」を、科学者のように、冷静に「観察」した。 そして、発見した。 大脳皮質の「自己」認識機能が「不活性になる」と「死苦」が消え去る、再び、 大脳皮質の「自己」認識機能が「活性化する」と「死苦」が起ってくる。 「自己」は「実体」ではない。 「自己」は「現象、働き、出来事」である、と解った。 「自己」という「実体」が「死んで、消滅する」ということは、 最初からなかったのだ。 「不生不滅」つまり「不生」なのだから「不滅」である。 その「事実」が、如実に、ありのままに、解った。 これで、それまでの「死苦」は、完全に消滅した。 道元は、「正伝の仏法」原始仏教に回帰した。 坐禅の時は、「眼を閉じてはならない」と教える。目から見え、耳から聞こえる。情報が入って来る。 坐禅は、「非思量」「思量に非ず」と教える。決して「精神集中」ではない。 神経細胞の回路は「不活性状態」である。酸素の使用量も低下している。 「色・受・想・行・識」、五蘊の「高度な機能」から停止して行って、 最後は「色と受」だけとなる。 この状態・世界では「自己」は「働かず」、必然的に「死苦」も消滅している。 「釈尊の教え」は『阿含経』相応部において、明確に記述されている。 「釈尊の教え」は、言葉で完全に伝え教えることができる。 『初転法輪経』で、かつての苦行の仲間5人に、何日も徹底的に議論を重ねて、 とうとう、最後に理解してもらった。 そこで、仏陀・覚者が、釈尊を含めて、6人に成った。 「サンガ」ができた。 これが、歴史的な事実である。 「精神集中のパワー」を「信じる」のは、 これは「釈尊の教え」とは「別の宗教」である。7

類似の表現に対し「語順」の違いから、一つ一つの「ニュアンス」を正確に汲み取る、これが重要この本に否定的な評価があるが、それは「中国語の本質」が、まだ理解できていないのが原因であり、誤解である。 中国語は「孤立語」であり、「単語」を並べるだけで、その意味は、語順にあり、読む方が補い汲み取る必要がある。 「動詞+名詞」が並ぶ場合で、「食う、ラーメン」「食う、レストラン」「食う、大皿」の例では、 英語では「S+V+Oの文型」「食う、と、食う対象(目的語)」の関係・意味となる。他方、 中国語では「ラーメンを、食べる」「レストランで、食べる」「大皿を用いて、食べる」の関係・意味となる。 ほとんど同じ並び方の文を、持ってきて、説明しているのも、その「語感の違い」を、一つ一つ比較しながら、正確に、日本語を用いて説明しようとしているからである。だから「整理すればよい、むしろない方が良い」という批評も的外れである。 最終章の「使役文」「受け身文」「”把”構文」などの説明は、それの集大成です。 他の文法書での説明は、類似の文との比較において不十分です。 「単語」の配列だけの「意味上の、受け身の文」が存在し、更に「”被のマーカー”が付いた受け身文」が存在する理由、その「語感」の違いは、日本語に翻訳すると、両方共が「同じ文」となり、解らなくなります。 中国人だからこそ、ここまで中国語の微妙なニュアンスを日本人に説明できるのです。1

最新の研究成果、簡潔に核心を記述し、非常に有益。ただ、瑩山禅師と道元に瑕瑾が…非常に有意義な著作である。 禅宗に関心があり、沢山、学ぶことができた。感謝です。 しかし、瑕瑾があります。日本人にとっては、非常に重要なので、ここに追記しました。 瑩山禅師は、伝教大師「最澄」の始めた日本天台宗を完成させた日本最大の改革者である。 「日本天台宗・達摩派」初祖「大日能忍」から、懐鑒、義介、瑩山禅師と嗣法して五世である。 だから、主著『伝光録』は、「天台密教の禅のお悟り、梵我一如」である。 柳田聖山先生は、著書『禅と日本文化』の中で、 「道元を祖とする新しい日本仏教は、瑩山の『伝光録』によって確立される。 教団は、この人(注:太祖・瑩山禅師)を祖として発展する。 『伝光録』は、日本における禅宗独立の記念碑である。」 と絶賛していらっしゃる。 白山の山岳仏教、修験道、白山神社、白山天台、観音信仰、… 日本人の全ての信仰を取り込み、白山天台のルートで、日本全国に布教した。 日本人の「ご先祖様信仰」、つまり、死と死者の問題も、完全に解決した。 それは、お彼岸とお盆が日本人の年中行事にまでなっている。 だからこそ、1万5千ヶ寺もの大教団に発展した。 瑩山禅師は、最晩年に「五老峰」という「仏塔・ストーパ・土饅頭」を築き、 「高祖」に如浄禅師を据えて、『如浄禅師語録』を地中に埋めて、 その法が「如浄・道元・懐奘・義介・瑩山」と5人に伝わった という「神学」を確立し、 道元の「釈尊の教え、正伝の仏法、原始仏教」を完全に封印した。 如浄禅師ご本人は、普通の臨済宗の僧侶であり、 寺を長期に留守にして檀家を回り布教と経済基盤を確保し、 当時の「儒教・道教・仏教、三教一致」を唱えていた。 他方、道元は、「原始仏教」だから、この説を痛烈に批判していた。 〇 〇 〇 道元は、自分の疑問を、如浄禅師に質問して、 その内容を『宝慶記』として記録していた。 その最大の関心は、「経典」であった。 道元は、日本において『大蔵経』を二度も読み、 「歴史上の釈尊の教え、原始仏教、正伝の仏法」を学んでいた。 だから、 如浄禅師への最初の質問は「教外別伝」は、誤りであるという、 言質をとることにあった。 誤りと明言したので、道元は「正師」と認めた。 そして、次は「偽経」の問題であった。 『首楞厳経』は「偽経」ではないか? 更に、別のところでは、 『六祖壇経』に「見性」という語があるので「偽経」である、 と結論付けている。 これは「中国禅」の「直指人心、見性成仏」を全否定するものである。 〇 〇 〇 学問の世界に、「自分の所属する宗派の信仰・神学」を持ち込んではならないと考える。 著者は、駒澤大学(旧曹洞宗大学)仏教学部・教授。 P213からの、道元の記述に、その「過ち」があると思うが・・・。 ”「天台本覚論」や「インドの初期如来蔵思想」を推し進めた” 事実は「仏性の巻」で、徹底的に、これを批判している。 P214 ”瑩山は『正法眼蔵』の思想に基づき・・・” 正しくは、瑩山禅師は、「日本天台宗の密教の禅、梵我一如のお悟り」であり、 他方、道元の『正法眼蔵』は、「原始仏教の禅、釈尊の禅」「諸法無我」である。1

ギリシャ哲学・プラトンの「イデアの永遠の世界」!道元は母の死で「観無常」に、9歳で読み「永遠の命」を求めた釈尊の仏教は、三法印「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」である。 ここには、「永遠のもの」などは、何一つない。 しかし、人間は、どうしても永遠なものを求めて、そこに「安心・あんじん」したい。 道元は、8歳で実母を亡くした。 実父は「通具」で「大納言」で健在だったが、 聡明で、早熟だったので、「観無常」に陥った。 英才教育で、3歳から、読書を始めていたが、 「永遠の命」を求めて、9歳で、この『倶舎論』に、その解決法を追求した。 この『倶舎論』は、ギリシャ哲学・プラトンの「イデア論の、永遠の世界」と同じものである。 つまり、 現実の世界は、流れ滅びるものであるが、 「法・ダルマの世界」の次元で観ると、そこは「不変の、永遠の、世界」であった。 そして、 ギリシャでは、アリストテレスが、このプラトン哲学を「踏み台」にして、大きく飛躍できた。 仏教でも、同じように、これは「重要なステップ」である。 よく「桃栗三年、柿八年」というが、 この部派仏教の『倶舎論』を習得できれば、その後の大乗仏教の『唯識論』は、 簡単に、理解ができるようになる。と言われている。1

如浄禅師は「心塵脱落」と教えた。道元は、それを知っていて「身心脱落」と正した。原始仏教だからだ!道元は、他人には公開しない、備忘録『宝慶記』で、 如浄禅師への質問の会話を記録した。 そして、 全部の会話が終わり、自坊に戻ってから、記録しているのだから、 如浄禅師が「心に付着した塵=煩悩を、洗い落とす」ことを主題にして教えているのは明確である。 また、 実際『如浄禅師語録』では「心塵脱落」であり、 日ごろから教えを聞いていた高弟でも、この「心塵脱落」である。 なお、 寧波地方の「南方の中国語」では、同じ発音になる。北方の中国語では異なるが。 だから、現時点で見ると、高橋直道先生のご指摘は、核心を突くものであったのだ。 如浄禅師は、古い仏教「中国天台宗」の「止観」思想だった。 だから「心塵脱落」の坐禅の実践だった。 他方、 道元は「原始仏教=正伝の仏法」であった。 道元は、意図的に、如浄禅師の教えを是正してから、受け取った。 そして、 これは、道元にとって大切な出来事だったので、記録に残した。 しかし、これは非公開の意思だった。 ところが、 懐奘が、道元の死後に、これを発見し、清書し、現在に伝わっている。 『如浄禅師語録』で明確な如浄禅師の教えや生き方は、普通の臨済宗の僧侶と同じである。 「儒教・道教・仏教、三教一致」であり、長い間、寺を留守にして、檀家から寄付を求めたりしている。 道元は、日本では如浄禅師が知られていないので、日本での布教において、理想的な人物として紹介しているきらいがある。「痘痕も靨」で、良い面しか見えないのかもしれない。 如浄禅師で、最重要な事は、「教外別伝」を明確に否定した事である。 『宝慶記』で、道元の如浄禅師への最初の質問が、この「教外別伝」であった。 つまり、「教、経典」を否定しない、だからこそ、道元は「正師」と認めた。 そして、当時の中国大陸を探したが、如浄禅師、お一人だけだった。3

「中国の仏教」は「老荘思想」で土着化し「中国禅」一色となり、浄土教を取り込み「念仏禅」となった「釈尊の仏教」は、王侯などの没落でパトロン消滅から、庶民の信仰を大量に取り込み「インド密教」となり、 限りなくインド人の土着信仰に近づき、結局は、本家のヒンドゥー教に飲み込まれて消滅した。 その一部だけがチベットに逃げ込み、ラマ教と融合しながら、細々と残っているのみである。 中国においても同様である。 中国でも、結局は、中国禅=土着信仰・老荘思想になってしまった。 そのことを、具体的に、論理的に、必然的に、詳細に、説明している。 初めは「インド仏教」を、「老荘思想の概念」を用いて、翻訳して導入した。 これを「格義仏教」という。 その後、唐王朝末期の「安史の乱」から、社会の激動をくぐって、 そこから「中国禅」が誕生してきた。 それは、「不立文字」「教外別伝」をモットウとした「仏教の教え」を捨てたものだった。 その核心は、「直指人心」「見性成仏」 …「直指人心」人の心を直接指し示す、言葉や文字に頼らず、直接的に自身の内面、心を見つめる。 …「見性成仏」自分の身に、本来そなわる「仏としての本性」を見抜いて、悟りを開く。 臨済禅師は「無為」「無事」「無為自然」「自然法爾」「一無位の真人」「平常心是道」 …あたりまえの生き方が真理である、と教える。 他方、「釈尊の仏教」は、古来、4つの「法印」としてまとめられている。 この二つは、全く異なる宗教である。どちらも正統であり、正当であり、正しい。 「諸行無常」「一切皆苦」「諸法無我」「涅槃寂静」3

「後嵯峨天皇・朝廷が道元の追却を決定」1243年7月、道元、北越入山に第4章の”道元禅は輸入仏教なのか”を読みたくて購入した。P134 新しい観点であり、非常に有益だった。今までの疑問がこれで解消できた。 道元の思想の転換点、 第一「承久の乱」 第二「後嵯峨天皇・朝廷が道元の追却を決定」1243年7月、道元、北越入山に 第三「北条時頼と面談、しかし、幕府に登用されず」1247年後半から半年間、鎌倉下向 道元の晩年、1252年には、道元の一門、九条家が失脚し、 朝廷、幕府、宗教界からも徹底的に排除された。 道元和尚は、「正伝の仏法=原始仏教」という「急進改革派」であり、 当時の社会体制・顕密体制を強烈に批判していた。 ○ ○ ○ これが原因で、 1253年8月、道元の死後、「永平寺の留守居役」の懐奘や義介たちは、 かつての「日本天台宗・達磨派・密教禅」の路線に大きく舵を切った。 道元は、布教の看板に成るどころか、逆になる存在だった。 (そもそも、懐奘も義介も、二人とも道元から、嗣法していない。嗣書を授かっていない。 義介は、達磨宗の懐鑒から嗣法しているから、懐奘から嗣法するわけがない。) 瑩山禅師が、「高祖」を如浄禅師として「五老峰(仏塔・ストーパ・土饅頭)」を築いたのも、 「如浄・道元・懐奘・義介・瑩山」という法系の神学を創り上げて、 この急進な道元を完全に封印して、「中国の正統な如浄禅師の法」を布教する。 これが為であろう。道元が、朝廷から犯罪者扱いになっている、これは重要な事である。13

膠着語である「日本語」、その構造に、日本人の思考、あるいは、ものの見方の基本的な様式が示されている。日本語独特の構造である、「膠着語(こうちゃくご)」、単語を膠で密着させていく、その仕方! この形こそが、日本人が判断する時の「心の動き」の一つの様式である。 ここに、日本人の思考、あるいは、ものの見方の基本的な様式が示されている。 それこそが、多数の助動詞の配列順序である。 日本語を改良し極限まで極めた『源氏物語』のパターンで、詳細・丁寧に説明している。(P133) そして、ここに現われた日本人の心は、「現代日本語文法」にも引き継がれている。 特に、欧州語との違いを明確にしている。例えば、 現代人は、英語教育などの影響で、「過去現在未来など直線の時間軸」で考えるように変わってきたが、 そのような文法規則「英語の時制」は、日本語にはない。 「疲れた。のどが渇いた。」これは、過去ではなく、今・現在の状態である。 「さあ、じゃまだ、どいた。どいた。」…現在。「あした、テストがあった。忘れていた。」…未来。 現在、中国人の高校一年生に「古文の文法」をヴォランティアで教えているが、 日本語のメカニズムを、これほどはっきりと説明できているものはない。 84の質問として細分し独立して記述してあるので、辞書的に、必要な箇所だけ読むこともできる。 老若男女、全ての日本人に薦める。4

秋月龍眠老師は「海印三昧の巻」の提唱で、突然「解らない」と言って、以後、それまでの連続提唱を止めた1976年頃、秋月龍眠老師は東京神楽坂のご自宅で、毎日曜日、私塾「真人会」を開催し、 『正法眼蔵』の連続提唱を行い、ご自身の機関誌『大乗禅』に連載していた。 ・・・なお、そのテキストは95巻本だった。 ある時、その「海印三昧の巻」の提唱の真っ最中に、 突然「(中国禅・白隠禅では)解らない」とおっしゃって、打ち切り、 以後、それまで数年続けてきた連続提唱を止めた。 また、その後、 自身の著作集を出版するに当り、それまでの道元関連の著作を全て、外した。 その箇所は、曹山禅師の問答で、華厳経からの引用に因み、 「海が死者を飲み込まず、吐き出す(海岸に打ち上げる)」 という議論である。 秋月老師が、「中国禅=白隠禅」では解釈できないと判断を下した その原因・理由は、 禅問答の「中国語の原文」が「明確に対句」であり、 以下であるのに、 「万有 非 其功  絶気 有 其徳」 それを、 「万有 非 其功 絶気」 と切り出して、 残り「有 其徳」を破棄したのが原因であった。 …道元の手控えメモ集『正法眼蔵 三百則』では、既に この「五言二句」が「七言一句」にされている。 しかし、これは、道元自身の無意識に、そこに意味を見出しての、 中国語の文法に反する「誤写」によるものかもしれない。 …鏡島元隆先生は、道元が独自の意味を創造した転釈の例と指摘している。 そして、更に、 この箇所こそ、柳田聖山先生が、 「道元は、中国語の能力が低くて、理解できていない」と、主張する根拠だった。 では、 道元は、なぜ、原文とは「別の意味」に解釈したのだろうか? それは、この句から、「中国禅の教え」ではなく、 「原始仏教、正伝の仏法」を読み取っていたからである。 その前の「仏性の巻」でも、大乗『涅槃業』の「悉有仏性」を 中国語の文法に逆らって、「悉有」が「仏性」である、という教えとして解釈し、 更に、その後ろの対句を切り捨てているのと全く同じである。 つまり、これは、「同じ仏教思想」なのである。 これは、更に、 如浄禅師による「心塵脱落」の教えを否定して、「身心脱落」と変えて教えるのも、 「中国禅」ではなく「原始仏教」の立場であるからである。 …なお、中国人の高弟が編纂した『如浄禅師語録』では「心塵脱落」とある。 会話全体の流れからは、「心塵脱落」であることは明確である。 なお、寧波地方の「南方の中国語」では、同じ発音になる。…石井修道先生 高崎直道先生は、北方の発音で考えていたので、説明が破綻した。 道元は、会話が終わった後から、記録しているのだから、 この2つの違いが解っていて、あえて、変えたのである。 ○ ○ ○ そして、更には、 「実際の如浄禅師」は、『如浄禅師語録』の内容で明確であり、 臨済宗で長い間修業し、多くの人脈も築いて住持職に就き、 寺を不在にして在家布教に何か月も出かける「普通の僧侶」であり、 更には、当時の「儒教・道教・仏教、三教一致」の教えであった。 道元は、この「三教一致」を激しく非難している。 当時の儒教は朱子学であり、中身は「陰陽五行説」の道教であった。 つまり、 道元が伝える如浄禅師像は、日本での布教のためのフィクションに見えてくる。 …ただ、如浄禅師一人だけが、中国禅のスローガン「教外別伝」を否定した。 道元は、阿含経などの経典で、日本において「原始仏教」の教えを学んでいた。 だから、 瑩山禅師が、晩年に、 「このような如浄禅師」をご自分の法統の「高祖」に据えて、 「永光寺」の一番奥に、 「五老峰」という「ストーパ・仏塔」高さ5mの「土饅頭」を築き、 その証拠の品である『如浄禅師語録』を埋めて、 如浄禅師の教えが、そっくりそのまま、道元、懐奘、義介、瑩山禅師ご自身と、 「この5人の間で伝わってきた」という「神学」を確立した。 また、 瑩山禅師は、如浄禅師と同じように、臨済宗の僧侶とも広く交流している。 つまり、 瑩山禅師は、道元ではなく、「如浄禅師から」忠実に嗣法していると言える。 更に、 瑩山禅師は、「日本天台宗、達磨派」初祖「大日能忍」禅師からも 「懐鑒・義介・瑩山禅師」と嗣法して、その五祖に当たる。 これも「高祖」に如浄禅師の教えを掲げるのと整合性がある。 道元一人だけが「中国禅」ではなく「原始仏教、正伝の仏法」であった。 その、嗣法は「僧海」「義尹」など、少人数である。 なお、現在の日本曹洞宗は、全て、瑩山禅師の法孫である。10

バイデンは、「プーチンの正体・野望」を炙り出し、世界を救った!著者は、「世界史」を理解していない! バイデンは、「プーチンの正体・野望」を炙り出し、世界を救った! ドイツのメルケルもシュルツも、プーチンに騙されて、 ドイツの「エネルーギー供給を、命を、プーチンに預ける」ところだった! バイデンは、プーチンの野望(侵略戦争で、領土を奪う)を見破っていたので、 炙り出しを図った! 愚かなプーチンは、それにまんまと乗って、3年間も戦争をし続けている! 北朝鮮の兵士の援軍をするのならば、 当然、米国の精密兵器で、ロシアの軍事施設を攻撃するのは、 国際法上、自衛権の行使であり、正当である! 英国もドイツもフランスも、自力で、NATO軍強化で、プーチンの野望に対処する! もはやウクライナ人は、二度と、プーチンの占領を許さなくなっている! 愚かなプーチンは、ますます、国力を弱体化させる! 北朝鮮に足元を見られている! 英国もドイツもフランスも、もうロシヤからの依存を止める! ロシアは、中国やインドに、安値でも、天然ガスなどをや買ってもらうしかない! 外国資本がロシアから逃げていく、経済的に20年は、遅れるだろう! ロシアの弱体化は、日本の防衛にとって重要である。 本気で、ウクライナの再建に力を入れる必要がある。0

道元の把握こそが抜群!道元は「正伝の仏法(原始仏教)無常、縁起生、無我」「無記」に回帰したこの著作は、道元の把握こそが抜群である!そして、 ここでの「インド・中国・日本、三国仏教の通史」を用いた説明は、 全て「道元の教え」が、釈尊の仏教に、回帰している事実を、証明している。 「正伝の仏法(原始仏教)=無常、縁起生、無我」そして「無記」が重要! しかし、 これでは、日本人を救う事ができない。 実際、この道元の教えは、「日本の仏教」に何も影響を与えず、埋もれた。 そして、 本当に日本人を救ってきたのが、総持寺の「太祖・瑩山禅師」である。 現在の日本曹洞宗は「瑩山」禅師の「日本天台宗、達磨派」の法孫である。 だから、 最澄の始めた日本天台・密教の「梵我一如のお悟りの禅」となっている。 具体的には 「天地いっぱいのいのち」「大地いっぱいのお働き」という教えとなる。 道元は、「生死の巻」を『正法眼蔵』に、含めない! これは「正伝の仏法」「原始仏教」ではないからである。 しかし、これが、「瑩山禅師の教え」の核心である。 21世紀に、入ったのだから、文献学の研究が精緻になっているのだから、 道元和尚と瑩山禅師の教えが、別の宗教であることを、学問的には、認めるべきである。 そして、両方共が、正統であり、そして、「正しい宗教」である。 瑩山禅師は、「高祖」に如浄禅師を据えて「五老峰の仏塔、ストーパ」を築いた。 この目的は、「道元は如浄禅師の教えをそのままそっくり伝えたという神学」の可視化である。 結果として、「道元独自の教え」は封印され、それを学ぶ必要はなくなった。 瑩山禅師は「日本天台宗、達磨派」初祖「大日能忍」「覚晏・懐鑒・義介」五祖「瑩山」自身と嗣法した。 最澄の始めた日本天台宗を完成させた。 白山天台のルートを用いて、白山の修験道も、白山神社も、取り込み、 それまでの天台宗の古寺を曹洞宗に復興しつつ、日本列島全体に布教した。 その結果、江戸時代の初期には、1万7千ヶ寺の大教団に発展した。 「お彼岸とお盆」は 「義介」禅師「瑩山」禅師のお働きで、日本人全体の宗教になった。 所謂「ご先祖様信仰」「葬式仏教」・・・ これこそが、「日本人古来の宗教心」である。 ここでは「教義が不要」だから、「他の宗派」も、そっくりまねた。 「瑩山」禅師こそが、日本仏教の最大の改革者である。 最澄が始めた「日本天台宗」の最終的な完成者である。3

「釈尊の仏教」は「脳科学」上での大発見である。それが、理解できていないのでは?「釈尊の仏教」が、理解できていない二人が、追求していくと・・・ 釈尊は、「死苦」で若くして悩んだ。 バラモン教では、救われなかった。 だから、妻子を捨てて、社会の外に、ドロップアウトした「出家」 「瞑想」を修行したが「死苦」が解決できなかった。 「苦行」修行「絶滅の断食業」でも、「死苦」が解決できなかった。 そこで「死苦」から逃げずに「死苦」の正体をあきらめる道を選んだ。 つまり、科学者の道である! 「死苦」が自分の中で起ってくる「プロセス」を、冷静に観察した。 その「実験方法」は、 「浅い」禅定と「深い」禅定の間を、何度も、往復した。 つまり、 大脳皮質の活動を、 「進化の新しい・高度な機能」部分から、順次、「不活発にし、停止して」いった。 すると、「自己認識機能」を不活発にすると、「自己」が消えた。 「自己」が消えると、「自己の消滅、死苦」も、同時に消えていた。 他方、 「同じ、出来事」に、「別の意味」を与えることができる。 「自己」が消えると、「自己と外部の境界線」が無くなり、 全世界が自己自身となった。 「梵我一如」「宇宙原理ブラフマンと自己アートマンとは、一体である」 これは、バラモン教の「ウパニシャド哲学」である。5















































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